こんばんは!
勝利です!
僕は中学生くらいまで察して欲しい人でした!
言わんとしていることを察して気づいて欲しいとずっと思ってました。
小さい時は大人の人が察してくれますが小学、中学と同年代と過ごすと誰も察してくれませんでした。
当時はみんなが察してくれないことに憤りを感じてました。
どうしてわかってくれないんだ?
こっちの気も知らずにヘラヘラしやがって…
なんて内心思っていました。
向こうが言い出したことや、約束をして忘れてそうだなぁと思ったらしばらく黙っておいて、
やっぱり忘れてる…いい加減な人だ…
などと忘れられた悲しさで素っ気ない態度を取っても向こうはん?程度で何もわかってない。
こっちの気持ちを。悲しさを一切察してくれない。
でも、今思えばそんな他人のこといちいち気にする人なんて居ないのが当然であり、こちらが何かを提供している訳でもないのに察してもらえる訳がありません。
察してもらえないのが当然であり、それを怒るのははだはだお門違いだと気がつきました。
それから、察して欲しいではなくて自分から言うようにしました!
言う時は若干のストレスはありましたが、黙って察して待ちするよりはだいぶ軽減されました。
そして、自分が言うようになると第二の弊害が…
今度は他の察して欲しい人に言えばいいやんって言うようになってしまったのです。
みんなが自分みたいに言える訳ではありません。
また、言わないとわからないことでこいつしょーもなと思われそっと人が離れる事もありました。
ここで、自分は言うけどなるだけ思う事がありそうだけど言えない方に対しては出来るだけ何が原因でそうなったのか察するように考えるようになりました。
しかし、これではまだ不完全でした。
これをしたらこう思うだろうなと先回りしてん?と思わせない事が必要だと言うことを店長となりバイトをマネジメントしたり、複数の女性と関係を継続する為にと言う不純な動機も交えて学びました。
そして、これだけではまだ足りません。
これにはキャパがあると言うことを後から学びました。
あれやこれやと色々と手を出してキャパオーバーするとあっちもこっちも漏れ漏れになってしまいます。
キャパを増やすのも大切だし、自分のキャパを把握しオーバーしないのも大切です。
こう言ったコミュニケーションについてはセラピストをする事でより沢山学ばせてもらいました。
まだまだ未熟ですが、円滑なコミュニケーションをするにおいて大切だと僕が感じたのはバランスよく在ることかなと思いました。
はっきり言うことも必要、はっきり言い過ぎないことも必要。察することも、あえてキャパオーバーしないように察しててもスルーすることも必要。
やり過ぎずやらな過ぎず。
そして、自分のメンタルが常に平穏であること。
自分のメンタルが崩れてしまうと人のことまで気が回らなくなってしまいます。
難しいけど、根本的に人と言う生き物、特に女の子が大好きなのでこれからもコミュニケーションについて追求していきたいなと思う勝利なのでした!
では、おやすみなさい♡
西島勝利の写メ日記
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【察して欲しい気持ち】西島勝利