日記を書くにあたって、
中学生の時のことを振り返ってみた。
最初に頭に浮かんだのが坊主姿の僕。
中学に入学するにあたって、
とても嫌だったのが丸坊主になることだった。
小学生までは女子にも負けないくらいの
サラサラヘアー。
結構人気があった。
その髪とのお別れ。
母がバリカンを入れる。
前髪が1センチほどなくなったところで、
一度止めてもらい、鏡で確認する。
――覚悟を決めるしかない。
そう思い、一気に坊主にしてもらった。
坊主になった日のことは、今でも鮮明に覚えている。
3年間の坊主生活を経て、
僕の髪質は少し硬く、
クセのあるものに変わってしまった。
もし坊主という校則がなかったら、
今もストレートのサラサラヘアだったかもしれない。
中学ではバスケ部に入った。
県内でも1、2を争う強豪校で、練習は毎日。
土日は練習試合。休みはお盆に1日、正月に3日だけ。
当時はまだ体罰が残っていた時代で、
先生にはよく怒られたし、叩かれることもあった。
毎日の練習は辛かった。
先生は怖かった。
それでも辞めなかったのは、
どんどん強くなっていく実感があったからだ。
先生の教え方が上手かった。
先生の口癖は、
「練習のための練習はするな」
練習には必ず意味を持たせ、
一つ一つのプレーを考えながらやるように指導された。
試合をイメージして練習すること。
それが、僕たちの強さに繋がったのだと思う。
春の公式戦で準優勝した僕たちは、
優勝候補に挙げられていた。
一回戦。
前の大会で対戦した相手だったこともあり、
どこかに油断があった。
思うように体が動かない。
簡単なシュートも落としてしまう。
逆に相手のシュートは、
ことごとくリングに吸い込まれていく。
前半を終えて、1点ビハインド。
「簡単に挽回できる」
そう思っていた。
だが、結果は1点差で敗北。
こんなところで終わるなんて。
放心状態になり、誰とも口を聞きたくなかった。
なぜ、あの試合に負けたのか?
今ならわかる。
試合に臨む姿勢が良くなかったのだ。
僕たちのチームは、ちょっとヤンチャな集団だった。
相手に対する誠意も、
バスケットボールに対する敬意も足りなかった。
強かったけれど、周りの評価は決して高くなかった。
それが何よりの証拠だ。
あの1点差の悔しさは、今でも僕の心に残っている。
あれは、僕たちの姿勢が招いた結果だったのかもしれない。
生きていると、
「もうちょっとだったのに」
「あと一歩で届いたのに」
そう思うことがある。
もちろん、努力が足りなかったという理由もあるだろう。
けれど、僕には、それが自分の心を映し出した結果のように思える。
だからこそ、そのたびに思うのだ。
もっと心を高めなきゃ、と。
小学生、中学生と振り返ってみて、
当時は根が暗かったのかもしれないと思う。
それはきっと、雪国という理由もあるんじゃないだろうか?
冬、ずっと曇りで気が滅入るんですよね。
これが上京するしたことで、
一気に性格が変わっていくんです。
この話は、また今度。
雪村 凪(ゆきむら なぎ)
雪村 凪の写メ日記
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丸坊主だった中学時代雪村 凪