実家を離れて、
めっきり食べなくなったものがある。
そのひとつが、目玉焼きだ。
卵料理には色々あるけれど、
シンプルでいて人柄が出るのは、
やはり目玉焼きだと思う。
なぜか。
醤油?ソース?塩?はたまたケチャップ?
それに“何をかけるか”で、
育った家の文化が垣間見えるからだ。
僕は幼い頃、最初は醤油派だった。
けれど、物心ついた頃には
なぜかおたふくソースをかけていた。
たこ焼きやお好み焼き専用だと思われがちなあのソースが、
半熟の黄身と意外な相性を見せていた気がする。
こうして思い返すと、
「味付けが完成していないものに、
自分なりのお好みを足す」
この行為そのものが、
食卓をちょっと豊かにし、
その人の食への嗜好を彷彿とさせるものだと考えると、
他人のそれを見るのも意外と面白い。
これは隠し味にも通ずるものがあるかもしれない。
カレーにどんな隠し味を入れるか。
ちょっとした自慢になるが、
昔静岡でおでんを食べたとき、店主に
「これ、隠し味にたまり醤油使ってます?」
と尋ねたら、見事に的中。
「何万人とうちのおでんを食べてくれたけど、
隠し味を当てたのはあなたが初めてです」
とえらく感動された。
大学時代に卒業研究の一環と称して、
日本の醤油発祥の地に、
現存している醤油の蔵を見学しに行った
経験もどこかで生きるものだね。
秋山 純士の写メ日記
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『かける味、隠す味』秋山 純士