邪道。
常識に外れ、王道から逸れること。
字面からして、あまりいいイメージはない。
けれど僕は時々、この「邪」の字に惹かれる。
王道は美しい。
歴史が築き上げた正解の連なり。
でも、誰もが王道に並び続けると、
そこはすぐに“渋滞”になる。
人が多すぎて、息が詰まる。
そんなとき、ふと視界の端に現れる細道。
舗装されていない、案内板もない。
けれど不思議と心が惹かれる方向がある。
「邪道」と呼ばれるそのルートは、
実は王道以上に自分らしい景色に
たどり着ける抜け道なのかもしれない。
もちろん、邪道にはリスクもある。
転んだり、戻れなくなったり。
けれど時には、
それすら経験として取り込むタフさが
未来の“王道”を作る。
誰かが舗装した道を歩くのもいい。
でも、自分の足で道なき道を選ぶのも悪くない。
「道を外す勇気」が、
人生の風通しをよくすることだってある。
脇道に心を預け、自らの道を作る。
ときには勇気をもって、
“正しさ”より、“らしさ”を選ぶために。
秋山 純士の写メ日記
-
『邪道という抜け道』秋山 純士