子どもの頃、
きらきらして見えたものがある。
プールの水面に反射する陽光。
冷えたラムネの瓶。
放課後、教室に差し込む西日。
それはただ「そこにある」だけで、
そのきらきらが目と心にすっと飛び込んできた。
それがなぜきれいかなんて考えもせず、
無邪気にあるがままに受け取っていた。
大人になった今。
同じような光景も、少し違って見える。
それは都会に移り住んだからか、
それとも自分が大人になったからなのか。
光り輝く夜景にも、人の心にも、
欲や競争の色が入り混じる。
“誰かより上へ” “もっと手に入れたい”
“究極のきらびやかさを”
そんな気持ちが、ときに光を重くする。
でも、どちらが良い・悪いではない。
きらきらも、ギラギラも、
どちらも人の中にあるものだ。
ギラつきは一種の色気にもなりうる。
ギラつきたいときもあるし、
ギラつきを求めている人もいる。
だが、ギラつきすぎて火照った心と体を癒すのは、
おそらく控えめなきらきらなんだと思う。
太陽がギラつく日曜日。
だからこそ、今日は己のギラつきを脱ぎ捨て、
子どもの頃のように
光の粒だけを、ただ受け止めてみようか。
秋山 純士の写メ日記
-
『きらきらとギラギラ』秋山 純士