散歩中、
老舗感が漂う八百屋の前を通り過ぎたとき、
チリン、と耳に届いた風鈴の音。
思わず振り返る。
忘れかけていた夏の景色が、
一瞬で頭の奥に差し込んできた。
入道雲。
アサガオ。
蝉の鳴き声。
ラジオ体操のスタンプ帳。
夕暮れの縁側で漂う蚊取り線香の香り。
どれもが、
僕の中で「過去の風物詩」になりつつある。
今ではどれも、日常に溶けることなく、
記憶の片隅でホコリをかぶった
宝箱のように眠っている。
不思議なことに、
忘れられない夏の思い出は、
必ずといっていいほど、
あの頃の風物詩とセットで蘇る。
感情と風景は、切っても切り離せない。
風鈴ひとつで、心の奥底がうずき出すのは、
きっとそのせいだ。
本当は、あの頃みたいに
毎年「風物詩」を更新できたらいいのだろう。
でも、スマホと冷房に頼る生活では、
入道雲も、蝉時雨も、遠い絵画のよう。
とりあえず──
蚊取り線香でも焚こうか、と考えたが、
この部屋には蚊がいない。
代わりに、最近はデスクでお香を焚いている。
かすかな煙が立ちのぼるたび、
頭の中の夏も、少しずつ温まっていく。
過去の風物詩を、
新しい形で呼び戻すために。
今日も僕は、静かな部屋で
小さな火を灯し、文章を書く。
秋山 純士の写メ日記
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『あの頃の風物詩』秋山 純士