ずっと本気で話してきた気がする。
心のこと、感情のこと、人生のこと。
自分自身の内面と、向き合い続けてきた日々。
とはいっても、
結構くだらないことを考えたりもする。
でも何となく、
こんなくだらないことを言っても仕方がないかな、
と思って言わずじまいになってしまったり。
毎回何かに意味を求めてしまう自分。
他人にも何か意味を与えなきゃいけないと思ってしまう
自分がいる。
でも意味がないような雑談の中にこそ、
不思議と“安心”があるのも何となくわかっている。
張りつめていた心が、
やわらかくほどけるように。
肩の力が抜けたとき、
本当の自分がぽろっと顔を出すこともある。
「わかってほしい」って、
誰だって少なからずそう思っている。
でも言葉に力が入りすぎていると、
相手には伝わらなかったり、
相手にとっては、
重すぎたり、暑苦しく感じられてしまうこともある。
だからこそ、
ときには“伝えすぎない時間”も、
雑談のような意味を求めすぎない会話も、
心には必要なのだと思う。
雑談は、空白じゃない。
むしろ、心を整える呼吸だ。
「今日は何も考えずに、ただ話したい」
そんな日があってもいい。
そんな時は僕も、なるべく肩の力を抜いて、
話を聞きたい。
秋山 純士の写メ日記
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『心の深呼吸』秋山 純士