子どもの頃、
田舎のまっすぐな道を歩いていて、
不思議に思っていたことがある。
どこまで行っても道幅は同じはずなのに、
遠くに行くほど細く見える。
そんなとき、学校の美術の授業で「遠近法」を習う。
そこでなんとなーくそういうものなんだと納得して、
それからは深く考えなくなった。
東京で暮らすようになって、
そんな風にどこまでもまっすぐに続く道を、
見かけることはほとんどなくなった。
立ち並ぶ高層ビル。
曲がり角の誘導。
気づけばシンプルな「まっすぐ」ではなく、
複雑で入り組んだ景色ばかりが
目に入るようになっていた。
それでもふと、
たった数百メートル先の細く見える道に、
あの頃の記憶が重なることがある。
遠いようで近い。近いようで遠い。
数分歩けば、ちゃんと自分の足でたどり着ける。
でも、だいたいの景色が分かっているから、
あえて先まで歩こうとはしない。
あの時、
細く小さく見えていた道の果てにあったもの。
それは異次元の世界ではなかったはず。
でも何となく自分で歩いてみて、
たどり着いた場所が思っていたよりも温かくて、
なじみのある景色であることに安心感を覚える。
きっと人も同じだ。
遠くに感じていた誰かも、会って話してみれば、
案外すぐ隣にいたような気がする。
距離に惑わされない。
見た目に惑わされない。
果てしなく遠くに感じるゴールも、
遠い存在だと思っている誰かも、
実は“たどりつける距離”に
存在しているのかもしれない。
秋山 純士の写メ日記
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「遠近法をふりかえる」秋山 純士