「俺には失うものなんて、何もない」
そんな言葉を、
どこかカッコいいと思っていた。
捨て身で生きることに、憧れがあった。
そしてあたかも、
「自分もそれに当てはまる人間じゃないか?」
覚悟。潔さ。“痛み”を跳ね返す自分。
そこに一種の強さを感じていた。
だが、ある時ふと頭をよぎった。
「失うものがない」んじゃなくて、
「失ってもいいと思い込もうとしている」
だけなんじゃないか、と。
そして多かれ少なかれ、失うものは必ずある。
まだ何も手にしていない状態。
それは“失うリスクがない”こととは違う。
何かを守ろうとしなければ、
自分が何を大切にしているのか、
いや何を大切にしたいのか、
知ることもできない。
でも俺はおそらく無意識に目を背けていた。
大切なものを見つける責任から逃れていた。
手にもしていないものを失うリスクを恐れて。
強がりの奥底にあったのは、ただただ空虚さだった。
「守るべきもの」がある。
それは人なのか、仕事なのか、信念なのか──
きっと人それぞれだ。
でも確かなのは、それを見つけた瞬間、
人は“ただ生きてるだけの存在”から脱け出せる。
守るべきものがあるからこそ、
人は踏ん張れる。愛せる。変われる。
失いたくないと思えるものがある人生は、怖い。
でもそれ以上に、
なにも守るべきものが見つからない人生の方が、怖い。
強がり続けてきた自分に問う。
「それ、本当に“失うものがない”だけの話か?」と。
今、俺は少しずつ探している。
本当に守りたいと思える何かを。
それがきっと、俺を人間にする。
秋山 純士の写メ日記
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「“失うものがない”という強がり」秋山 純士