誰だって、他人から認められたい。
承認欲求は、誰にでもあるものだと思う。
でも、何かをやった結果として
他人から認められるのと、
最初から“認められること”を目的に動くのとでは、
意味がまったく違ってくる。
「どうやったら、あの人に理解してもらえるだろう」
「どうやったら、たくさんの人に認めてもらえるだろう」
そんな思考が強くなるほど、
自分の軸は他人に預けられてしまう。
認められて、はじめて存在価値を感じて、
思うように認めてもらえなければ、落胆する。
SNS全盛のいま、
“目立つ”ことで注目を集めるのは簡単になった。
でも、その多くは
本当にその人を理解してくれているだろうか。
本当にその人を認めているだろうか。
他人の目にどう映るか。
そのことばかり気にしていたら、
気づけば、本来の自分はどこにもいなくなっている。
自分を認めてあげられるのは、自分だけ。
全部じゃなくていい。
ほんの少し、
「この自分、いいな」と思えたらそれでいい。
そして他人に対しても、少しだけ認めてあげる。
全てを肯定しようなんて思わなくていい。
大事なのは、
自分の中にも、他人の中にも、
“愛すべき一部”が必ずあるということ。
それを見つけられたら、
もう充分なのかもしれない。
秋山 純士の写メ日記
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「認められる、でも少しだけ」秋山 純士