人とコミュニケーションをとっていくうえで、
「共感する」ことは相手との関係性を
深めていくために一つ大事な要素となる。
でも本当の意味で相手に共感するというのは、
ものすごく難しい。
そもそも生きてきたバックグラウンドが違う。
同じ経験を共有した仲間と
同じ出来事について語るならまだしも、
自分がしたことのない相手の経験に関して、
「それ、わかる」
とは僕は間違っても言えない。
人は誰かに情報を共有したいというよりは、
自分の感情をシェアしたいのだと思う。
ついつい人に話してしまうのは、
ものすごく楽しかった出来事、
ものすごく悲しかったエピソード、
ものすごく怒り狂った大惨事。
自分の感情が大きく揺れ動いたとき、
人は良くも悪くも不安定になる。
その感情を誰かとわかちあえたとき、
人は少なからず安心感を覚えるのかもしれない。
まだことばを発することがない赤ちゃんが泣く。
お母さんがその赤ちゃんを抱っこする。
赤ちゃんはお母さんに何かを説明したわけではない。
でもその泣いている感情をやさしく包み込み、
受け入れることで、
赤ちゃんは安心感を覚えてやがて泣き止む。
どんなに機械化が進んでも、
人にしかできないものがある。
それが心を通わせるということである。
「それ、わかる」
なんてことばを発さなくても通じている何か。
真の共感を実現するために、
少しでも心を通わせることができる関係性を
作れたらいいなと、秘かに思いつつ、
今日も両手でやさしく包み込みながら
バ〇ナを頬張る秋山である。
秋山 純士の写メ日記
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共感と安心秋山 純士