もう何年も前の話になるが、
とある友人から一緒に占いに行かないか、
と誘われたことがある。
当時特に悩みを抱えていたわけでもなく、
占ってもらいたいという
気持ちがあったわけでもなかったが、
興味本位でついていくことにした。
そこには長髪で独特の風貌をした
一人の男性がいた。
せっかくなのでその友人が占ってもらった後に、
自分も占ってもらうことにした。
だが、占いが進んでいくごとに、
その占い師が
ちょっと困惑しているような表情を見せる。
そのとき占ってもらったことを
事細かく覚えてはいないが、
占いの結果があまりピンと来ていなかった
自分がいたことは覚えている。
その数年後、
今度は僕の友人の占い師に会う機会があり、
またしてもせっかくなので占ってもらったのだが、
そのときもその友人は困惑した表情を浮かべて、
「秋山さん、悩みとかあります?」
と逆に聞かれてしまった。
もしかしたら秋山は占い師泣かせなのか?
と思いつつ、
しかし後からよくよく考えてみたのだが、
悩みも占ってもらいたいこともないのに、
占ってもらうという行為自体が
そもそも不自然だったのかなあ、
なんて思ったりもする。
占い自体は人の未来を予測するみたいな、
一種スピリチュアルな行為であり、
実はそういうものにわりと興味はある。
ここ最近も、とある占い師の週刊占いを
定期的にチェックしている。
だが一度たりとも、その一週間を振り返ったときに
「あ、すごい当たってた」みたいな感覚はない。
とりあえず占い師が発することばだったりを、
いいことであれ悪いことであれ、
勝手にポジティブ変換して将来のいいイメージ
を持てればそれでいいじゃん、と思う
楽観的な秋山である。
ちなみに余談。
と思ったが、余談はまた明日。
明日の題目は
「秋山、占い師になる(仮)」です。
秋山 純士の写メ日記
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もしも占いができたなら【前編】秋山 純士