変わり者の秋山です。
いきなりどうしたんですかと突っ込まれそうですが、
まあ気候も暖かくなってきて、
いよいよ春本番という感じになってきたので
ここは大目に見てください。
さてさて、
僕をよく知る人からは、
「秋山さんて変わってるよね」
と言われることがたまにあるのですが、
これと同時に
「秋山さんて自由人だよね」
なんて表現もたまにされます。
どういう意図かまではあえて尋ねませんが、
世の中のしがらみにとらわれず、
自分のやりたいことを好きにやっている、
みたいなイメージを持たれているのかなと、
個人的には勝手に解釈しております。
でも、考えてみると寿司屋の修業時代は
始発で現場に行き24時くらいに帰ることもあったし、
3年前くらいには、
365日午前4時半から仕事の連絡が来ること
を想定して身構えていた時代もありました。
今思えばそんな生活のどこに自由があるんだ、
と恐ろしくなりますが、
どういう訳かそういう環境に置かれると
その中に自分の中で自由さを見出すのです。
ものすごく抽象的な表現ですね。
つまり不自由さの中に自由さを見出すのが
得意というか、
一見過酷な環境に身を置いていても、
その環境に不自由さを感じないという
側面を持っているのだと思います。
だがしかし。
やっぱりそういった環境に
どこかで違和感を覚えるタイミングが来る。
それは次にやるべきことが
明確に見つかったタイミングかもしれないし、
自分の価値観の変化によって
その仕事への熱量が薄れるとか、
そういうことなのかもしれないですね。
有難いことに僕はこの歳にして、
熱量高く取り組むことのできる
この業界を知ることができた。
日記は毎日のように更新しているし、
スケジュールはめちゃくちゃ出しているし、
秋山は自由人というか暇人?
と思われているかもしれない。
僕は全然そう思ってもらっていいと考えている。
もちろんこれに対するデメリットもある。
それは一つ一つの日記に対する稀少性、
そしてスケジュール一日一日に対する稀少性が
薄れるということ。
だがそういったことも全て理解したうえで
最大限の思考エネルギーを日記に充てているし、
最大限調整できる時間帯をスケジュールとしてあげている。
これに噓偽りはない。
まあ実際忙しいかと聞かれると、
「いや、そんなことはない、
なぜなら秋山は自由人だから」
と答えてしまう自分がいると思う。
なぜなら、忙しいかどうかはその人の感じ方次第だし、
自分の心を亡くすような行動をとっていなければ、
忙しいとは感じない。
「忙」の漢字の意味を考えればそうなるよね。
そういう意味で、
僕はこのまま自由人という肩書きを背負って
これからも生きていきたいと思っている。
そんな人生もいとをかし。
秋山 純士の写メ日記
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自由人秋山 純士