こんにちは。
最近になってコンビニで
コロッケそばなるものを見つけた秋山です。
この歳まで知らなかったのですが、
あれはわりと定番の組み合わせのようですね。
パン粉で揚げたものをつゆに浸すということに
慣れていない秋山にはどうもピンと来ません。
あれはつゆに浸して食べるのでしょうか?
それともそばをすすりながらコロッケにかぶりつくのでしょうか?
有益な食べ方の情報があったら秋山まで一報を。
さてコロッケの話題が出たので、そろそろバ〇ナの話題を、
ってことでもなく、
秋山のサプリメント事情についてのお話です。
僕は普段の食事の他、プロテインも飲みますし、
特定の成分が入ったサプリメントを何種類か常用しております。
成分の効能に関してはことばでなんとなく説明できるのですが、
もはやその成分を摂取するのがデフォルトになっているので、
成分を「摂らない」タイミングを意図的に作ってみてはじめて、
摂取しているときと摂取していないときの差を
感じるものなのかもしれません。
いずれにせよ、足りないものをあらゆる形で補えるという
現代のサプリメントの種類の多さには圧巻の一言です。
一方で、心の栄養はどのようにして満たすか。
寂しいときに効くサプリメント。
愛情が欲しいときに効くサプリメント。
僕が知る限りこのようなサプリメントは目にしたことがない。
体の栄養は、何かを食べる、
もしくは摂取することで満たされるが、
心の栄養は、どう満たすかの定義がない。
これだけモノがあふれ、様々な娯楽があっても、
心を完全に満たすということは不可能ではないかと
思ってしまう現代。
本当に満たされた心の状態とは。
僕自身もおそらく心のどこかに
足りていない栄養素があるはず。
でもそれに気づいていようがいまいが僕らは生きていこうとする。
心の栄養素が少しくらい欠乏していても、
すぐに体に異変をきたすこともない。
でもきっとどこかのタイミングで
心が満たされることがあるかもしれないし、
心のどこかでそれを願っている。
人はその瞬間にはじめて、
心にも栄養が必要なんだということに気づくのだろうか。
心のサプリメント。
それはどれだけ科学が発達しても補うことが難しい領域だ。
だからこそその「補う」役割を担う、「代わり」の誰かが、
求められているのかもしれない。
秋山 純士の写メ日記
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心のサプリメント秋山 純士