自分ができることは、
できて当たり前のように感じる。
でもそれをできない人に教えるというのは、
非常に労力のいることである。
料理の世界では昔から「見て覚えろ」という風習があった。
でも実際見てもその通りに手が動かない。
ことばで説明してもらってもその通りにできない。
不器用だった僕は特に、人より多く反復を繰り返すことで、
「できる感覚」をつかむしかないと思っていた。
人から教えてもらったことは、
できるようになってはじめて、
もしくは教えてもらったことの意味を理解できてはじめて、
その価値を実感できる。
そのためにはまずは教わる側のやる気や、
それを身につけようとする工夫が必要になる。
教わる側のやる気が高ければ、
教える側も意欲的になる。
そして実は教える側にも、
教えることで本当は自分が理解できていなかった点
に気づくこともあり、
教える側にも教わる側にもおそらく成長があるのだと思う。
いくつになっても、学ぶ姿勢や教わる姿勢があれば、
どこまでも成長していけると僕は信じている。
改まって人に何かを教える、
もしくは人から何かを教わるということは
昔に比べると少なくなった気がするが、
必要があればバナ○のキレイな剥き方を教えたい、
いや教わりたい今日この頃である。
秋山 純士の写メ日記
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教える、教わる秋山 純士