日本料理は繊細と言われる。
英国で一年生活し、寿司職人を経験した自分の個人的見解では、
ここでいう繊細とは、
実際に料理として提供する前に、
どれだけ素材等に適切な下処理やひと手間をかけれるか、
そしてそれをどれだけ手早く丁寧にできるか、
という意味を含むものだと僕は思っている。
その集大成が、「繊細な味」として表現される。
そもそも先人はどのようにしてその方法を見つけ出したのか。
どうやったら美味しく食べられるか、
という飽くなき探求心とも言えるし、
ひいてはどうやったらもっと美味しく「食べてもらえる」か、
食べてもらう人への最大限の気遣いから生まれたのでは?
そんな風にも思える。
これはわれわれにも言えることである。
どうしたらもっと自分は魅力的になれるのか。
いや、どうしたら見る人にとって魅力的に映るのか。
常に研究しなければならない。
それは自分のためであり、
自分と出会う人への配慮でもある。
キュウリは生でみそをつけて
ガブリと頬張って食べるのが美味しいときもあれば、
料理によっては隠し包丁を入れて、
蛇腹型にして見た目にも麗しく仕上げるときもある。
いずれにせよ、素材がいいというのが前提の話。
われわれもどういう見せ方をするにせよ、
自分という素材の完成度を上げないといけない。
そのために、日々どういう生き方をし、
どういう下準備ができるか。
一朝一夕で形成されるものではない。
日々の積み重ねが未来の自分をつくる。
そういえば、バナナはそのまま食べるのが美味しいと思うのだが、
美味しい調理法はあるのだろうか。
ゴリ〇に聞いてみよう。
バナナも、素材が命。
〇リラも、素材が命。
すなわち、秋山も素材が命。
あーあ、また脱線しちゃったよ。
秋山 純士の写メ日記
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素材の活かし方秋山 純士