漫画ドラえもんの中に出てくる「ほんやくこんにゃく」。
ネーミングはもちろん素晴らしいのだが、
食べるとあらゆる言語を話せるようになるという
画期的な道具である。
仮にこれが、将来日本各地で栽培されるようになったら、
こんにゃくの消費量は増え、日本人のお通じが良くなり、
国境を越えたコミュニケーションが容易になるだろう。
でもこれはあくまで「コトバ」の話。
コトバが通じてもキモチが伝わるとは限らない。
相手が何を思っているのか、何を感じているのか。
そして逆に自分が何を思い、何を感じているのか。
言語化してあげなければ相手に正確には伝わらないし、
そもそも日々うつろう気持ちを
言語化するのはなかなか難しいものである。
どんな時代になっても相手の気持ちは相手にしかわからない。
こちら側にできることは非言語的な表現を最大限観察することだ。
さすがにドラえもんも「キミノキモチ」みたいな、
食べれば君の気持ちがすべてわかっちゃう、
みたいな食べものは持っていないだろう
(既にあったら秋山に教えてください)。
相手の気持ちを丁寧に探る。
言語を使いながら非言語的な領域に意識を広げる。
本当に知ってしまったら
ショックを受けることもあるだろう。
それでも僕は知りたい。感じたい。
いつかドラえもんの道具を凌ぐ感受性を身につけられたら。
空を自由に飛ぶ前に、自分に何ができるか。
ドラえもんに相談してみよう。
秋山 純士の写メ日記
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キモチを探る秋山 純士