何かをするときに、これは必需品、というものがある。
昔野球をやっていた頃は「グローブ」がそうだったし、
料理人をしていた頃は「包丁」がそうだった。
自分の技術的な上手い下手はひとまずおいておいて、
そのものが高い安いというよりは、
自分が納得したものを使いたいという一種のこだわり
があった気がする。
だからグローブを買うときも包丁を買うときも真剣だった。
包丁に至っては包丁を研ぐ砥石まで、
こだわりにこだわったものを買った。
寿司屋で働いていた時代には、
まだ仕事をそれほど任されてもいないのに、
包丁のきれいさには人一倍こだわっていた。
仕事ができるといわれる人は、
所作はもちろんやはり使っている道具も美しかった記憶がある。
それだけに技術の未熟さを指摘されるよりも、
使っている道具に関して指摘されることの方が
100倍恥ずかしいことだと感じていた。
今となっては包丁もグローブも使わなくなってしまったが、
日常的に身につける衣服であったり、
靴であったりにはやはりこだわりを
持って購入するという部分は変わっていない。
こだわりを持つがゆえに、
これというものにはなかなか出会えないものだが、
出会えた時の喜びはひとしお。
やはりこだわりを持って手に入れるからこそ、
愛着を持って手入れができるし、
それが自分の一部になるという感覚があるのだと思う。
秋山 純士の写メ日記
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こだわった先に秋山 純士