大学生時代、卒業論文を執筆していた時に、度々言われた言葉がある。
「それは君の主観的な意見であって、客観的な裏付けがない」
当時僕は文系の大学から理転を志し、編入試験を受けた後に理系の大学に在籍していた。
「何で俺の論文なのに、俺の意見を書いちゃいけないんだ?」
素直にそう思った。
結果として論文は完成させて無事卒業はしたのだが、9割以上の生徒が大学院に進学する中、
自分は寿司屋の板前になることを決めた。
アカデミックの世界に全くの魅力を感じなくなってしまったのと同時に、
そういう世界とは真逆(?)の料理の世界に多大なる魅力を感じた。
(このあたりのいきさつに関しては話すと数時間かかるのでまた後日)
車エビをきれいに真ん中から包丁で開けているか?
大根のツマは究極に細く美しいか?
細巻きの具とシャリのバランスは良いか?
常に自分の目を凝らしていた。
手先が不器用な自分ではあったが、
「見て美しいか」「食べて美味しいか」
という、ある意味人間の感覚に訴えかける料理の世界というものは、
一種人の感動に結び付く側面があり、大変に面白い世界であると感じた。
どの領域、どの世界に属していても、そこには何かしらのルールや制限のようなものがあることがほとんどだ。
その世界にいることに「不自由さ」「生きにくさ」を感じ、「違和感」を覚えているのなら、次の世界にチャレンジするサインなのかもしれない。
次回へ続く(かも)
秋山 純士の写メ日記
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究極の自由を求めて ~直感に目を向けた20代~秋山 純士