第三話
価値観
年末にも関わらず、緊急対応で出社し続けた私は
なんとか仕事を納めきった
イベント運営の業界では珍しい事ではない
さらに言えばこんなトラブルは推測の範囲でしかない
あの時ちゃんと声に出して指摘さえしていれば……
足取りが軽かったはずの気力など無く
まばらに空いた席と、触れたくないつり革も避け
ドア付近に身体を預けながら帰路についた
そのまま鐘の音を耳にする事なく、眠りに落ちた
そして……
いつもの週末と同じような新年を迎えた
普段は口数が少なめな両親だが
年始に限ってはリビングで談笑をする
宝くじが当たったらだの、当たるはずがないだの
ギャンブルをする度胸もないクセに
私はタラレバの話が嫌いだ
あの時ああしていればとか、こうしていればとか
もし宝くじが当たっていたら……
買ってもいない奴の会話ほど無駄な時間はない
そんな話題に乗っかって、男心をくすぐるような
喜怒哀楽が溢れるほど豊かなリアクションなんて
私には向いてはいないし、する気もない
ーーあの時、メールしていれば
後悔なんてものは先に立ってはくれない
知らない世界の事件やトラブルなんて予測できない
ほんの少し前まで高鳴っていたはずの気持ちが
スマホを握る気力すらなくなってしまった
夏以降、孤独に繁忙期と闘っていたせいで
「彼の文章」の存在を追いかけられずにいた
繫忙期には少し早いのかもしれないが
手間がかかる作業から些細な作業まで
全て私のところに放り投げられてくる
こんな時に限って、私は愛嬌が良いフリをする
そうやって何年も出会いのキッカケを塞いで
こんな年にもなればそんな職場の男達が
恋愛対象どころか不快な存在に感じている
ストライクゾーンなんて年々狭まる一方だ
そんな不満を胸に秘めているが
職場恋愛なんて真っ平ごめんだ
だからといって出会いの場に足を運ぶ気も無い
一目惚れなんてしたこともなければ
年を重ねるほど恋は芽生えにくいって話だ
経験を積めば積むほど価値観が固まり
あれがイヤだのこれがイヤだの……
優先順位のつけられない、譲れない価値観たち
ーー若い頃に少しは恋愛をしておけば良かったな
タラレバの一つや二つ、誰だってしてるよ
そうは言っても凝り固まるのがこの年の価値観
そう簡単には切り替えられない
男慣れしていない私には高過ぎるハードル
ーーならばいっそ下をくぐってみようか!
……なんてトンチを言いたくなってしまったのは
間違いない、彼の影響だ
吸い込まれるくらいに、彼は心地よい文章を紡ぐ
ポジティブな言葉に見え隠れする悪戯な毒気
シンプルな単語の裏に仕込まれた様々な伏線
それでいて誰よりも強めのモザイク
シャープな輪郭のみで表情なんて窺えない
だから苦手意識である異性を感じなかったのだろう
私が興味を持つにはピッタリな存在で
逆に言えばハードルが低い存在
しかし見えないビジュアルよりも感じる魅力
追いかけたくなるリズミカルなワードセンス
右を見ても左を見ても、ありきたりな言葉ばかり
安い少女漫画ですら使われないありふれたクサい文句
しかし「彼の文章」は客を、女を誘惑していない
逆に試されているような、挑発されているような
私が評価するのも変な話だが、万人受けしない内容
浮き隠れている……と表現すれば適切だろうか
時には短く、時には長く、それでいて小気味良い
理解できない内容も時にはあったが
それはきっと私の理解力のせいだ
……私は完全に彼の虜になっていたのだ
とにかく謎で気になる存在、気になる文章だった
ーーそう、それももう過去の話
あの夏、追いかけるように読んだ彼のアカウント
同じ時間を過ごしたかったのに
久しぶりに見たアカウントは更新が止まっていた
彼は本当に存在していたのだろうのか
私は彼の後ろ姿を見ていただけ
あの時踏み込んでいれば
あの時メールの一つでも投げていれば
ーーそんなことしか言えない自分が本っ当に大嫌いだ
嫌悪はいつだって私の隣に勝手に居座る
私の腕に、私の心にいつも重くのしかかる
プラスにもならない無駄な価値観なんて
早く捨ててしまえば良かったんだ
ーー彼に会いたかった
つづく
国見 孝太郎の写メ日記
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【夜に明ける】第三話国見 孝太郎