第二話
不常
年末休暇に入るはずだったのに
今年も緊急対応という名の尻拭いだ
朝から電車に揺られる大晦日
いつもなら満員電車のはずなのに
今日はあの夏の日と同じようにまばらな車内
バッグからスマホを取り出し、ロックを解除する
心に若干の後ろめたさがあるせいか
不安定な視線が電車の様子を伺いながら
定まらない指先でゆっくりとスマホに触れる
そして……
あの夜に蘇った記憶を手繰り寄せる
ーーそう、「彼の文章」
普段であれば、通勤時間が長いこともあり
後発の整列乗車列に並んでは
必ず仕切りの板がある端の席を確保する
残念ながら女性専用車両に対応していない時間だ
板に身を寄せ、枕代わりのバッグに顔を埋める
もちろん寝ているわけではないのだが
髪型が崩れないように、メイクが落ちないように
ハンドタオルを一枚敷き、そっと顔を乗せる
誰かと目が合うような事は避けたい
音漏れしない程度のギリギリの音量で
周囲を遮った時間を過ごす
ちょっとした旅行くらいな距離がある反面
始発駅で座れるのが唯一の救いである
だからといって気を抜けるわけでもない
汗まみれのオジさんが隣に座った日には
一日中腕に悪いモノが取り憑かれたような気分で
そんな事もあってか、どんなに暑い日であろうと
電車の中ではカーディガンを羽織るようにしている
一人分の席の領域を破ってくる無神経さ
無自覚に荒ぶる耳障りな呼吸
そんな時はいつもより音量を少し上げて
鞄をギュッと抱きしめて息を潜めている
そんな窮屈が続いた夏のある日の事だった
ーーそう、あの日もまばらな車内だった
あの日、お盆の時期もあってか
ターミナル駅からの人の乗り換えも少なく
私は学生の頃に憧れた非行、とまではいかないが
初めてキスシーンを観た子供のような気持ちで
SNSで見かけたあるドラマの情報を追いかけていた
恋愛経験が多いわけではないせいなのか
学生時代、クラスで流行った少女漫画の影響なのか
そっちの方は偏った情報しか持ち合わせていない
しかしそれを自覚しているから自分は例外だ
……なんて言い聞かせながら恋愛に距離を置いていた
物語は地上波で放送されているドラマとは違い
少し大胆な表現なのか、私の感覚が未だ子供なのか
刺激的な単語ばかりが目に飛び込んでくる
私は普段そういった単語を口にするのは苦手だが
文字で検索するくらいであればなんの躊躇いもない
……はずだった
ーー「女性用風俗」
瞬間、腕に不快な感覚がよぎった
男のみの世界の、お世辞にも印象の良くない言葉
車内はまばらなのに、隣は空席なのに
停車した駅名を確認し、重く一息をつく
その流れで次の駅を確認するフリをしながら
ゆっくりと隣の空席を確認し、また車内を見回す
嫌悪感でいっぱいになったはずなのに
SNSで溢れる情報の波と
怖いもの見たさの気持ちに押されて
耳慣れない言葉を検索してみる
モザイクばかりの男性の写真が並ぶ
時おり現れる上半身裸の写真
ーー腹筋だけでどう判断するの?
不覚にも車内で苦笑いを浮かべてしまったが
一種の見下したような気持ちが、心の障壁となる
電車に揺られながら指先が奥へと進める
様々な店、たくさんの男の子の存在
私には縁のない世界だと思っていた
「彼の文章」に出会うまでは……
現実に戻るまで残り数駅、私は電車に揺られながら
彼の世界へと踏み込んだ
ーーそう、「彼の文章」
彼のアカウントから発信されている文章
彼が発信しているであろう言葉
彼の言葉に私は何度も目を止めてしまう
読むほどに引き込まれる彼の世界
徐々に迫る最寄り駅
電車の減速とともに、スマホをバッグにしまう
到着と同時に手すりを掴んで勢いよく立ち上がる
自分自身で心の高まりを感じる
仕事終わりの楽しみができたせいか
足取りは軽やかに、私は職場へと向かった
その先の物語が無い事など知る由もなく……
つづく
国見 孝太郎の写メ日記
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【夜に明ける】第二話国見 孝太郎