2024年4月1日に実施したツイキャスで触れた話題のひとつ。
「『お行儀が良い』ことは良いことか」
これは,いくつか存在している配信プラットフォームの特徴,のようなお話をしているときに出た議論です。
私個人の結論としては,「『お行儀が良い』ことは必要だが,『お行儀が悪い』こともまた必要だろう。ただし,私は『お行儀良く』ありたい」というところでしょうか。
視聴者の方からのコメント曰く,「〇〇(配信プラットフォーム名)は民度が低い」とのこと。
「民度」という単語を用いたとき,その空間には「良い/高い」「悪い/低い」といった二項対立が生まれやすいと思います。
二項対立が生まれた以上は,その空間を形成している文化圏や歴史的背景を元とした「良い/高い」が奨励されることになるでしょう。
しかし,本当に「民度が良い」ことが無条件に奨励されて良いのでしょうか。
「民度が低い」人たちは排斥されるべきなのでしょうか。
以下,「民度が良い/高い」≒「お行儀が良い」,「民度が悪い/低い」≒「お行儀が悪い」と適宜換言しつつ,考察していきたいと思います。
今回の議論の背景には,「配信プラットフォームの隆盛」という文脈がありました。
先の二項対立は配信プラットフォームに限った議論ではありませんが,今回は配信プラットフォームを例に考えてみたいと思います。
結論から言うと,「民度が低い」ことは,配信プラットフォームにとって命綱です。
なぜならば,「事件が起こらない限り,発展は起こらない」からです。
法律や条例,制度,利用規約などといったより良い社会をもたらすための人類の発明は,事件や事故,病気や犯罪,戦争など種々の問題によって議論が起こった結果として産出される道具です。
宮部みゆき「模倣犯」の劇場版にて,次のようなセリフがあります。
「人間は何で進化していると思う。事故,戦争,病気,犯罪それらを克服するために生きているんだ。」
配信プラットフォームが競争に打ち勝っていくためには,種々の問題を克服し,より良いサービスを提供し続けていく必要があります。
そして,問題を起こすために,所謂「民度が低い」≒「お行儀が悪い」人たちも必要というわけです。
いまだかつて,利用者全員が「民度が高い」≒「お行儀良い」という状況を実現した配信プラットフォームは存在しないと思いますが,仮にそういったプラットフォームが生まれたとすると,おそらくそれは緩やかな死を迎えるでしょう。
いつの時代も,問題のある人や言動には必要以上に注目が集まるものです。
プラットフォームにとって,注目を集めることは成功に直結します。
どれだけ炎上しようと,倫理的に問題が起ころうと,誰かが傷つこうと,人が集まればそれで成功なのです(私はずっと納得できていませんが)。
ただし。
これだけは気をつけないといけないと思うことは,「自分がお行儀の悪い人になる必要はない」ということです。
加えて,「お行儀の悪い」人たちが人類の発展のために必要な存在であることは認めますが,その行為を奨励することはしない方が良いでしょう。
(ここに矛盾が生まれますが,その矛盾は,この議論が「二項対立」を前提としているための必然であり,「二項対立の脱構築」が必要であることを実感させてくれる良い例だと思います。)
ということで,今回の議論の結論は,冒頭に述べた通り,
「『お行儀が良い』ことは必要だが,『お行儀が悪い』こともまた必要だろう。ただし,私は『お行儀良く』ありたい」
ということになります。
換言するなら,「『お行儀の悪い』存在はなくならないため,関わり方を考えよう」とも言えるかもしれません。
【出典】
宮部 みゆき(2005).『模倣犯』 新潮文庫
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