まず初めに、
人のことを想うことはとても素晴らしい。
僕はそう思っている。
人のことを想う時間は
自分の人生を豊かにする。
それも間違いないと思う。
だけど、それでも、
人間は結局自分の為に生きている。
誰かのために、何かをする。
とても人間らしい行動だと思う。
相手のことを考えて、
助けたくて、喜んで欲しくて、
良かれと思って、
何かをした事があるはずだ。
だけど、感覚は人それぞれ。
相手を思いやっているつもりが、
結局は自分の都合。
「おまけのコロッケつけといたよ!」
そんなありそうなセリフ。
おまけつけたら喜ぶだろう。
おまけつけちゃう俺、粋だな。
いつもありがとね!そんな気持ち。
でも、そのおまけがいらない時もある。
一人暮らしでそんなに食べられないよ。。
ジャガイモ嫌いなんだよな。。
ダイエット中なのに。。。
ありがたいはずの行為も
受け手にとっては困る場面がある。
たくさん売れたいから
メディア露出を増やしたいお店。
あまり忙しくなると困るから、
メディア取材拒否のお店。
喜びも望むものも人によって違う。
だからこそ、真の意味で
「相手の為」は難しい。
どんなに考えても
わかるのは自分の思考と都合だけ。
でもそれでいいと思う。
相手のこと想って、考えて。
それでも決め手は自分の都合。
結局それしかできないのだから。
相手を思う気持ちは
自分の手元に置いておく。
プレゼントを選ぶ時、
相手を想い、悩み、熟考し。
その瞬間が素晴らしい。
だから最後は自分の都合で、
自分があげたいものをあげたらいい。
例え、相手が心から喜んでいなくとも、
仕方ない。
最後は自分の都合なのだから。
僕が、私が、渡したいから。
その気持ちと過程は最高に素敵だ。
相手からの
リアクションや見返りは期待せず。
自分の意思を大切に。
誰かの為も、
結局は自分の為だと思うことで、
自分の気持ちを優先できる、
自分にとって素晴らしい人生を
進む事ができる気がする。
大崎 一成の写メ日記
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結局は自分の為大崎 一成