人に言われた些細なことが気になるときがある。
「人に言われた些細なことが気になってしまう人」と「全く気にしない人」の違いについて考えると、それはその人の性格や捉え方、そしてその言葉が自分の心にどれだけ深く刺さったかによるのだと思う。
僕自身について言うと、前者のような気がします。
ただ、長く引きずるタイプではなくどちらかというと楽観的です。
これは、「気にしない性格だから」というより、単に記憶力の問題かもしれません(笑)。
一方で、自分が誰かに言ってしまった何気ない一言に対して、「あのときのあの言葉、大丈夫だったかな?」と、しばらく考え続けてしまうことがある。
相手の反応が特に変わらなければ、「まあ、大丈夫だったのかもしれない」と思えるようになるが、それまでの間はずっとモヤモヤしている。
一方で、誰かに言われた言葉が心に強く残る場合、それはその言葉が自分の大切な部分や、コンプレックス、弱い部分に触れているからではないだろうか。
たとえば、職場の上司から言われた「君には向いていないんじゃない?」という一言。
その言葉を言われた瞬間の空気感やその場の光景は、強烈に記憶に刻まれる。
その理由は、きっとその言葉が自分にとってすごく大事なテーマに触れていたからなんだと思う。
その一言は、周りからすれば何でもないような言葉だったのかもしれない。
でも、自分にとって重要な部分に触れる内容だったからこそ、ずっと心に残り続けている。
こうした「些細な言葉が気になるかどうか」というのは、結局、その言葉が自分にとってどれだけ意味を持つか次第だと思う。
そして、それがポジティブに捉えられるか、ネガティブに捉えられるかは人それぞれ。
僕の場合、これらの言葉はネガティブに感じたこともあるが、一方でそれをバネにして「次はもっと頑張ろう」と思えたり、「見返してやりたい」とモチベーションに繋がることもあった。
だから、忘れられない言葉って、必ずしも悪いものではないのかもしれない。
ただ、自分が誰かに言った言葉については、また別の話。
自分の中で「あの言葉は大丈夫だったのかな?相手を傷つけていないかな?」と思い続けることが多い。
例えば、何気ない一言が相手の心に刺さっていたらどうしようと不安になります。
しばらくして、相手の態度や対応に特に変化がないと、「まあ、大丈夫だったのかな」と少しホッとする。
そして最終的には忘れてしまうことも多い。
でも、こういう経験があるからこそ、「言葉には気をつけよう」と自分を戒める部分もあります。
結局、「些細なことを気にする人」と「気にしない人」の違いは、その言葉が自分にとってどれだけ重要か、どの程度心に刺さるかで変わるんだと思います。
そして、その言葉をどう扱うか――つまり、気にし続けるのか、それとも消化して前向きに変えていくのか――は、その人の性格や考え方次第なんじゃないでしょうか。
どちらが良い悪いではなく、自分にとってどうプラスに変えられるかを考えるのが一番大切なのかもしれません。
水城律
水城 律の写メ日記
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【些細な〇〇】水城 律