「どうして自分は自分であって、貴方ではないのだろう?」
身の回りで誰かが深い悩みに苦しんでいるとき、いつもそう思う。
もしその傷が、その病が、その不幸が、
もっと頑丈で鈍感な自分の身に降りかかっていれば……
血清。
ヒトにとって致命的な毒でも、頑丈なウマに注射することで、
毒を無効化する抗体が得られるように。
或いは、レコードの針。
病む人の心身に刻まれた凹凸を、余すことなく読み取って、
忠実に(hi-fi)再生し、同じ目に遭ってみせる。
我が国最初の近代詩人、萩原朔太郎は
<詩とは生きて働く心理学だ>と云ったが
ことばの機微に多少敏い自分であれば、
悩む人の心を、言語を通して経験し、
その悩苦にともに立ち向かえるのではないか。
今、これらの言葉を真に受けた人は要注意。
なぜなら、上のような英雄願望は、必ずそのどこかで
ヒーローである自分の身勝手な死を望んでいるから。
ほんとうに惚れたら、生きることです。