他人というものは、なかなか自分の弱みを見せないし、また努力も見せません
それは他者に出し抜かれないための自己防衛であって、故に心を許した相手にしか見せないものです
たまに自分の努力をひけらかす輩もいますが、本来は努力している姿、弱い姿はごく一部の親しい人間しか知らないものです
だから他人というのは大した努力もせずに飄々と生きてそれなりの人生を手に入れて、苦もなくそれなりの強さも備えていて、迷うことなく真っ直ぐにストレスなく歩んでいるように見えてしまうんですね
一方、自分は同じものを有していても、それを得るために捧げた対価や莫大なストレス、それに伴う葛藤であったり様々なものを犠牲にしてやっと手に入れた数々の地位、そんな他人と自分を比べたら、そりゃあ劣等感に苛まれてしまうでしょう
迷いに迷って挫折を繰り返し、こんなはずじゃない人生を迷走する自分に比べたら、他人の人生がどんなに羨ましく見えるものか、その気持ちは痛いほどよくわかりますよ
でも、そんな快活に真っ直ぐな道を歩んでいる人なんて、そんなにいないんじゃないですか
つまり、目に映るものが全てではないということ
何度も挫折を重ねたり
仕事が好きになれなかったり
何もやる気が起きない日があったり
自身の境遇を恨んでしまったり
才能の無さを嘆いたり
運の悪さに絶望したり
誰もが紆余曲折し、こんなはずじゃなかった人生の中で何事もなかったような顔をして生きているじゃないですか
例えばあなたが他人を羨むように、他人から見たらあなたが羨ましいでしょう
他人を羨ましいと思うことは、その人のことを何も知らないということ
笑っているからといって、楽しんでいると思わないように
大勢の人に慕われているからといって、孤独ではないと決め付けないように
何事もない顔をしているからといって、何事もない人生を謳歌していると思わないように
あなたがそうであるように、誰もが自身の弱さを内包しながら都度折り合いを付けなんとか生きている
『私だけが』という孤独感や疎外感があるのなら、それは単なるあなたの勘違いであって、ゆりかごから墓場まで無傷で生きていける人などこの世にはいませんから
不安だという感情はある意味当然のことであって、明日という日がある限り不安は希望の付属品なんですよ
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藤依 実誠の写メ日記
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無傷なんてないから藤依 実誠