最近はどうも『正し過ぎる人』が多い
それは毒に対する耐性がなく、僅かな過ちにもを目くじらを立て、人を許すことができない人
正しいことは決して悪いことではないが、正し過ぎる人と付き合っていると疲れてしまう、まるで上司と付き合っているような閉塞感と、正義という名の檻に閉じ込められているような気がして窮屈になる
そんなときに落ち着くのが『お互いの悪口をお互いが笑い合いながら言える関係』ではないかと
人ってそんなに正しくは出来ていない生き物で、誰もがどこか未熟で、誰もがどこか愚かで、誰もが許されたい生き物なんですよ
許すことは愛することであり
誰もが持つ未熟なところ
誰もが持つ愚かなところ
そこを許容する(愛する)ことで初めて、その人の全てを受け入れることになる
『めんどくせぇな』と言われれば
『うるせぇ泣かすぞ』と笑って言い
『小学生かよw』と草を生やされたら
『黙れ幼稚園児が』と笑って返す
正義に傾倒するのも程度の問題であり、悪くなり過ぎず、かといって正しくなり過ぎない『ちょうどいい人』であることが人間関係でも大事なことかと
悪過ぎても正し過ぎても、どちらかに傾倒してしまうと、人は孤独になってしまう生き物なのでしょうね
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藤依 実誠の写メ日記
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ちょうどいい人藤依 実誠