誰にでも優しく接する人がいたとして
それが「慈悲」からくるものなのか、それとも「嫌われたくない」という打算からくるものなのか。
その違いは、表面的には見えにくいですが、本質的にはまるで別物ですよね。
慈悲深い人は、損得を超えて、ただ目の前の人の感情に寄り添い、誠実に思いやりを向けることができる人です。
一方で、相手によって言うことや態度が変わる人は
相手そのものよりも「自分がどう見られるか」に軸があります。
だから、「みんなに優しい人」に見える人がいたとき、その優しさの根っこがどこにあるのかを見極める目を持っていたいと思います。
同時に、自分自身の在り方についても振り返っていたいです。
僕自身、人から嫌われることを恐れる気持ちは正直あります。だからこそ、つい人当たりよく接してしまうところもあるかもしれません。
けれど、心から好きになれない相手のご機嫌を取るために、思ってもいないことを口にするようなことはしたくないです。
僕が「この人に笑っていてほしい」と心から願った相手が、本当に笑顔になってくれるように。
その人の気持ちが少しでも軽くなるように。
そんなふうに、誠実に優しさを注げる人間でありたいと思っています。
Noah 賢人
賢人の写メ日記
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慈悲深い人と八方美人は、似ているようでまったく違う存在だと思います賢人