桜が咲くと、僕たちはなぜか立ち止まってしまう。
その美しさは確かに目を引くけれど、きっとそれだけじゃない。
どこか切なさを含んだその光景に、なぜこんなにも心が動くのでしょうか?
きっとそれは有限性の中にこそ価値があるということであり、無意識にそれをみんな感じているのではないでしょうか。
「永遠」は安心を与えてくれるかもしれないが、「儚さ」は今この瞬間を輝かせる。
少し話は変わりますが、僕は桜と甲子園に出場する高校球児たちを重ねてしまうことがあります。
高校球児たちの野球人生は、たった数年のうちに終わる。
だからこそ、一球一打、一喜一憂のすべてが命を宿したようにまぶしい。
人は、終わりがあるものに「意味」を見出そうとする生き物なのかもしれません。
花が散るからこそ、その一瞬の咲き誇りに意味を重ねるように。
甲子園で涙を流す姿に、努力や夢の重さを見てしまうように。
そしてたぶん、僕たち自身の生もまた、有限であるからこそ、愛おしい。
永遠ではないと知っているからこそ、 今を見つめる。今に触れる。
その感覚を、僕は忘れたくないなと思います。
Noah 賢人
賢人の写メ日記
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桜と甲子園に心を奪われるのは、永遠じゃないから賢人