「裏」とは自分を偽って時間を過ごしているということになるわけですが
自分を殺して生きていくということは
その時間分だけ自分の時間がすり抜けていくようなもの。
そう考えると、人生を短くしていると言えるのではないでしょうか?
それを悪いと言うつもりはありません。
でも、自分の一生というのは、そんなに簡単に蔑ろにしていいものではないと僕は感じます。
ただでさえ、1年が年々短く感じるようになっていく。
だんだんと感受性が薄まっていくなかで
今後の人生の中で「今」が一番人生を色濃く過ごしていくエネルギーに満ちているというのは共通のはず。
年齢を問わずそんな各々が大事な「今」を過ごしていく中で
自分を偽って過ごすのはもったいないのではないでしょうか?
フラストレーションを抱えて生きている人たちが
どこかにそれを吐き出さなければならないほどの状況に置かれているとしたら
それは良し悪しの問題ではなく、どこか気の毒だと感じます。
人はみんな多面的だから、どの面を他人に見せるのかはその時々の状況に合わせるのは当たり前のことで
自分の持ってる広い幅の中でどの代(しろ)を見せていくのかというのは各々状況に合わせていくべきことだけど
でも、別の人格を作ることとそれは違うことだと僕は考えています。
自分の人生を尊いと思うのであれば、自分の「表」をもっと大事にしていくべきなのかなと思いました。
たまには、こんなふうに自分の考えを語る日があってもいいですよね。
Noah 賢人
賢人の写メ日記
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裏表作って生きるとは「裏」の分だけ人生が短くなるってことなのでは?賢人