SNSを見ているとときどき言葉にならない違和感に出会うことがあります。
自分が人気であること求められていることをそのまま「偉さ」や「特別さ」にすり替えてしまっているような振る舞い。
そんな投稿を見ると、つい画面越しに問いかけたくなってしまうんです。
“あなたは、誰のためにこの仕事をしているの?”って。
もちろん誰だって「選ばれること」は嬉しいし自信に繋がるのは自然なこと。
でもその「選ばれている」という状態が、いつのまにか当たり前になってしまったら少し怖いなとも思います。
女風ってすごく不思議な仕事です。
会う前からある程度の信頼を前提にされていて初対面でも深い部分に触れる関係性になる。
でもだからこそお客様がどれだけの覚悟や思いをもって“会いに来てくれる”のかその背景をちゃんと想像できるかどうかがすべてのスタートになる気がします。
たとえば、あなたが喫茶店に入ってコーヒーを頼んだとします。
カウンターにいる店員さんが笑顔で手際よく淹れてくれて、ふとした会話の中にちょっとした優しさがあったら「また来よう」と思うかもしれません。
でも逆に店員さんがあぐらをかいて「この店が人気なのは俺のおかげ」なんて雰囲気を出していたらどう感じるでしょうか。
同じように俺たちもただ“サービスを提供する側”というだけではなく“その時間に責任を持つ側”でなければいけないと思っています。
お金を払ってもらって時間を使ってもらってその上で心を開いてもらう。
それって当たり前のことなんかじゃない。
俺は自分をすごいと思ったことは一度もありません。
むしろすごく繊細で器用でもなくて自信なんてしょっちゅう揺らいでばかり。
でもだからこそ「目の前の人をちゃんと見ること」だけは、ずっと大切にしてきました。
お客様の言葉にない部分を、声のトーンや表情から感じ取って寄り添うこと。
少しでも安心してもらえるように、自分の手を丁寧に動かすこと。
「気持ちよかった」以上に、「ここに来てよかった」と思ってもらえる時間を一緒に作ること。
それが俺にとっての、この仕事の意味です。
どんなに回数を重ねても慣れたくない感覚があります。
当たり前になった瞬間から施術も気持ちもどこか緩んでしまう気がするから。
そして俺はこの業界がもっとお客様を中心に回る場所であってほしいとも思っています。
「お金を払う側が偉い」なんていう極端な話がしたいわけじゃなくてあくまで“信頼されて成り立っている関係性”という視点を、セラピストが忘れないでいられるかどうか。
人気や数字よりも目の前の人にどれだけ向き合えたかを大事にしたい。
長く続けていけば、少しずつ見えなくなる部分もあるかもしれない。
それでも自分の軸を見失わないように、こうして時々言葉にして確かめておきたいんです。
昴としてどんな自分でいたいか。
何のためにこの仕事を続けているのか。
答えはとてもシンプルで、「あなたに来てよかったと思ってほしい」ただそれだけです。
だからこそ甘えず、驕らず、これからも一人ひとりとまっすぐ向き合っていきます。
昴の写メ日記
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「選ばれる」という奇跡に甘えたくない。昴