どれだけ優しく触れてもどんなに技術を尽くしても。
それだけで人が気持ちよくなるわけじゃないことは、この仕事を通じてよくわかった。
快感は、自分の中にあるもので、誰かに与えられるものじゃない。
最終的に、それを“感じてもいい”と許すのは、他でもない自分自身だ。
だから俺は思う。
快感って、他人に委ねるものじゃなく、自分で開くものだと。
じゃあ、セラピストって何をしているの?って思われるかもしれない。
俺がしているのは、その扉の前に座ること。
勝手に開けたりしない。
無理に開かせることもしない。
ただその前で、静かに待つ。
今ここにいることが、安心に繋がるように。
空気や温度や、目の動きまで使って、「この人の前なら、自分を出しても大丈夫かもしれない」
そう感じてもらえるように。
触れることも、言葉をかけることも、全部“扉が開いているか”を確かめるためのやり取りだと思ってる。
焦らないこと。
結果を急がないこと。
開かない時間にも、意味があると信じること。
それが俺の仕事で、俺ができる最大限の“寄り添い”なんだと思う。
セラピストは、扉を開ける人じゃない。
開けようとする人のそばにいられる人だと思ってる。
気持ちよさは、自分の中にある。
でも、誰かがそばにいることで、それに向き合う勇気が生まれることもある。
俺は、その“誰か”でありたいと思ってる。