焦らされるのが苦手、って話を聞くことがある。
「早くしてほしいのに、じらされて逆に冷めた」とか。
たしかに、“待たされること”がただの我慢になってしまうと、それは快感から遠いものになる。
でも、焦らしって本来、気持ちよさを奪うためのものじゃない。
快感を、少しずつ育てていくための“間”だと思ってる。
性感において、すぐに触れないこと。
目の前にいるのに、あえて距離を保つこと。
唇を寄せて、でも重ねないこと。
それって、“今すぐ”じゃなくて、“まだ来ない”という状態に身体を慣らしていく工程でもある。
期待と緊張が交差したところに、一番深い感度が生まれる。
だから俺は、わざと触れない時間をつくる。
あえて、静かな呼吸だけを交わして、身体が勝手に“求めてしまう”瞬間まで待つ。
そうやって生まれる感覚は、“される”快感じゃなく、“溢れてしまう”快感になる。
「焦らしは、奪うものじゃない。奥行きを与えるもの。」
性感って、先に進めば進むほど気持ちいいわけじゃない。
立ち止まったままでも、深く沈んでいくことができる。
そういう時間の流れを、俺は丁寧に、一緒に作っていきたいと思ってる。