昔、自分自身に対して「感じること」にどこかでブレーキをかけていた時期があった。
快感に反応することが、だらしないことのように思えたり、感じている顔を見られるのが、どこか恥ずかしかったり。
気持ちよさよりも、気まずさが勝ってしまう。
本音よりも、平静でいることを選んでしまう。
でも今ならわかる。
感じるって、むしろ“ちゃんと生きてる証拠”だった。
心が許した瞬間、身体がそれに応える。
それはごく自然な反応であって、恥じるものじゃない。
性感の仕事をするようになってから、“感じることを自分に許せない人”がこんなに多いんだと知った。
そしてそれは、過去の自分そのものでもあった。
感じないんじゃない。
感じることを、無意識に避けていただけ。
誰かに見られること。
気を抜いた顔になること。
声が漏れてしまうこと。
そのすべてにブレーキをかけていたら、身体の奥にある感覚には、たどり着けない。
だから俺は、まず空気をつくる。
無言でも、肌が触れてなくても、“ここでは力を抜いていい”と思ってもらえる空気を。
性感って、そういう場づくりから始まる。
「快感は、解放のあとにやってくる」
「性感は、感じる自分を取り戻すためのリハビリ」
自分を責める必要なんてない。
ちゃんと感じたとき、“あ、これが自分だったんだ”って少し笑えるようになる。
そうやって、自分に触れる時間を、これからも丁寧につくっていきたいと思ってる。