濡れないと、気持ちよくないと思われる。
感じてないように見える。
「変なのかな」「申し訳ないな」
そんなふうに、自分を責めてしまう人がいる。
でも正直、濡れる濡れないなんて、性のほんの一側面にすぎない。
興奮と濡れ方は、比例しない。
身体は反応してるのに、潤いが追いつかないこともあるし、まったく興奮してなくても、生理的に反応してしまうこともある。
性感は水分量じゃ測れない。
濡れなかったからといって、感じていなかったわけでも、楽しめなかったわけでもない。
皮膚がじわっと熱を帯びて、呼吸が変わって、声にならない吐息がこぼれる。
そういう、もっと微細なサインの中に、確かな快感が宿ってる。
性感において、目に見えるものだけがすべてじゃない。
だからもし、濡れないことで自分を責めたことがあるなら、それはただ、身体の個性でしかない。
罪悪感を持つ必要なんて、どこにもない。
むしろ、こう言いたい。
「濡れなくても、感じていい」
「濡れてなくても、求めていい」
“感じてもいい”と自分に許せるかどうか。
そこから始まるものが、たくさんある。
性の悩みは、身体のせいじゃない。
そう思ってもらえるような時間をつくることが、俺の仕事だと思ってる。