“期待に応えること”って、セラピストをしている以上、ある意味で前提みたいなものなんだと思う。
どんな時間を過ごしたいか、どんな言葉がほしいか、どんな空気に癒されたいか。
目の前にいるその人の望みに寄り添って、形にしていくこと。
それは間違いなく、セラピストとして大切な一部。
だけど、気づいたら「応える」じゃなくて「合わせる」になってしまっている瞬間があった。
本当は違和感を覚えたことにも笑顔で返してしまったり、自分の中で大事にしてきた“芯”を少しずつ曲げてしまったり、無理をしてまで期待に応えようとしすぎて、終わったあとにひとりでぐったりしてる夜が増えていった。
それでも、「それで喜んでもらえるなら」と思ってた。
だけどある日ふと、こんな問いが浮かんだ。
“自分をすり減らしてまで応えたその期待は、本当にその人のためになっていたのかな”って。
相手が望むままを全部受け入れることが、必ずしもその人のためになるとは限らない。
こちらが無理をしていれば、その空気はどこかで伝わってしまう。
どんなに笑っていても、心がこもっていない“サービス”は、やっぱり心に届かない。
そしてそれは、お客様にとっても、本当の意味で満たされる時間にはならないはずなんだ。
誰かの期待に応えるということは、ただイエスを重ねることじゃない。
ときに「NO」を含んだ上で、それでも共に居心地のいい場所をつくることが、大人同士の信頼なのかもしれない。
それにこちらが無理をせず、自分を大切にしながら目の前の人と向き合えたとき。
その時間って、不思議と自然体でいられて、相手も心からくつろいでくれている気がする。
期待に応えることは大切。
でも、“過剰に”応えることは、時にお互いの関係性を歪めてしまう。
少しずつ、心の奥にあった「いい人でいなきゃ」という鎧を脱いで、“ちゃんとした昴”じゃないときも、誰かに愛される感覚を信じてみたい。
今日もまた、「寄り添う」と「媚びる」の境界線を、自分の中で確かめながら生きてる。
◆─-- - - - お知らせ - - - – --─◆
Lit.linkのご案内!
昴のスケジュールやキャスの情報などが一目でわかるサイトがあります!
以下のURLから確認することができますのでぜひご覧ください!