駐輪場で空いてる場所を探していたら、おっちゃんに「ここ空くで」ってちょうどおっちゃんが自転車を出そうとしているところを指してくれました。
お礼を言ってそこに停めたら、
「もっと前に押さな。すぐに抜ける!」
ガチャンと言う音がしなかったから、料金カウントされない(不正している)と思ったのかな。
「あ、ちゃんと停められてますよ。ほら、抜けない。」
と引っ張ってみせたのですが、どうも私が信用できないらしく、わざわざ自分の自転車から降りて、私の自転車を引っ張りにきました。
「あ、ほんまや。ねーちゃん、ごめんなぁ。」
冤罪セーフ。
正義感が強くて、人にかまいたいんでしょうね。
あなたは人が困っている姿を見たらすぐに助けてあげたいタイプですか?それとも、「放っておこう」と思うタイプですか?
といっても「困っている」にも種類やレベルがあるのでYes/Noとはっきりは答えられないですよね。
「助けてあげたい」と思ったとして、やたら特定の人に対して「この人をなんとかしてあげたい」と躍起になったことはあるでしょうか。
私の持論にこんなものがあります。
《傷ついている人は、他人を救いたいMANになる》
自分と似たような境遇の人、困っている人、悩んでいる人を見ると、自分のことのように心がざわついて、その人を助けたくなってしまう。
「助けたい」という気持ちはとっても良いこと。
ただ、一回立ち止まって「なぜ助けたいのか」を整理してみてはいかが?とも思うのです。
貴方は過去に傷ついたことがある。
その人は今、傷ついている。
同じ現象が起こっていても、経緯やその人の人格によって悩み方が全く違う場合もあり、下手に救おうとしようものなら「ちょっと私の悩みとズレてるんですけど」になりかねないんです。
「私が〜だったから、あの人もきっとそう。」
という思考は一旦、隅に置いておいたほうがいい。
「逆に私はあの時あまり傷つかなかったけど、この人は私以上に苦しんでいるのではないか」
なんて発想になったら、余計にタチが悪い。
いや、タチが悪いって語弊があるかな。
人の気持ちを察するのは悪いことじゃないんだけどね。
人を救ってあげたい気持ちが強い人ほど、「自分自身の癒えていない傷に蓋をしている」ように思えるんですよね。人によっては。
なので、他人の心配をする前に。癒えない傷の舐め合いっこする前に。
まずは、自分の問題についてどこまで消化できているのか、一回考えてみたほうがいいよ。
傷なんて簡単に癒えるものではないのだけれども。
「あの人を救ってあげたい」
と思った時はとにかく
・なぜ救いたいと思ったのか、自分がそれに対してこれまでどう処理できているのか。
・自分と混同させない
が大事だと思います。
私も、「救ってあげたいMAN」が発動しそうになる時があるので、さし晩酌(オンライン通話飲み会)や施術カウンセリングではできるだけフラットにお話を聞くように心がけております。
「救いたい」に限らず、「何かをしてあげたい」欲は貴方自身へのシグナルなのかもしれません(´-`).。o(一旦深呼吸…)
みわの写メ日記
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☆何かをしてあげたいMANのお話☆みわ