母の日なんて要らんもの
誰が考えたんだ。
母の日なんて要らんから
私は母が女に戻れる日欲しい。
ついでに言うと、色々なとんでもねぇ母もいるわけでさー、感謝?いやー、感謝の気持ちが湧き出てくる様な扱いされてねぇんだわ!
どうも、あす香です。
母の日の由来や起源を調べてみました。
( https://belluna-gourmet.com/column/mother_oshiete.html )
母の日の由来☆
母の日の起源にはいくつかの説があります。歴史順に並べると以下の通りです。
・ 古代ローマ時代には、女神リーアに感謝する春祭り
・ 17世紀のイギリスでは復活祭(キリスト教の行事)の40日前の日曜日を「mother’s Sunday」として、 母親と過ごすために出稼ぎ労働者を里帰りさせていた。
・ アメリカで1905年5月9日に亡くなったミセス・ジャービスを追悼しようと、アンナ・ジャービスが教会で 白いカーネーションを配った。その習慣が徐々に広がり、1914年、当時のアメリカ大統領ウィルソンが アンナの母が亡くなった5月の第2日曜日を母の日と制定し、国民の祝日とした。
ちなみに・・・
・ 日本では、明治末期頃にキリスト教を通じてカーネーションを配る母の日が伝わり、 1915年(大正4年)に教会で行われてから、一般にも少しずつ広まっていった。 1931年(昭和6年)には、皇太后の誕生日である3月6日を母の日とし、1937年(昭和12年)に森永製菓が告知をしたことで、母の日は全国的に広まり、1947年(昭和22年)に、公式に5月の第2日曜日が母の日となりました。
母の日 裏話☆
実は定説となっている、アメリカでのアンナ・ジャービスの出来事には裏話があります。 母親に感謝をする日として定められた母の日ですが、本当はそれだけではなく、平和を願う母親たちの社会運動を 記念したものだったのです。
アンナの母親、ミセス・ジャービスは牧師と結婚しており、1858年に「Mothers’ Day Work Club(母の日仕事クラブ)」を結成し、病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり、病気予防のために食品の検査を行ったり、色々な活動をしていました。南北戦争時代も中立を保ち、「Mother’s Friendship Day(母の友情の日)」と言う企画(南北双方の兵士や地域の人々を招き、お互いに敵意を持つことを止めさせようとするイベント)も行い、平和を願って献身的に働いた人物なのです。ちなみに彼女は10人のうち、8人もの子供を戦争や病気で失っていました。
今と違い、女性がまだ社会的立場が弱い時代だったので、こうした母親としての社会活動は大変意義のあるものでした。 その他にも女性は奴隷制度の廃止、女性労働者の環境改善、子供の保護、公衆衛生、社会保障など、色々な問題について政治的な圧力をかけてきました。「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあったのです。
そんな女性の活動が活発化してきた時期だったからこそ、ミセス・ジャービスが亡くなった際に娘のアンナによって配られた白いカーネーションが取り上げられたのです。アンナはその後、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて「母の日」を祝日にする活動を行い、約10年の長い歳月を経て、1914年にやっと夢が叶ったのです。
ところが母の日の商業化が進み、いつの間にか「母に感謝のプレゼントを贈る日」として定着してしまい、19世紀の母親が行っていた「平和に対しての活動の日」としての風習はほとんど消えてしまいました。
「おかあさん ありがとう」と感謝の気持ちに併せて、今年は平和についても考えてみる良い機会が持てると、本当の意味での母の日を迎えられるかも知れませんね。
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おおおおおおおおっとっと。
女性に戻れる日を希望!なんて、なんて贅沢な!恥ずかしいにも程がありますね。2024年に生きているからこんな贅沢なこと言えるわけで、
ミセス・ジャービスはじめ当時の女性が平和を祈っていた。ジャービスさんの追悼祭と考えると、今こうして皆さんと笑顔でお会いできる2024年や母の日がとても崇高な暖かい有難い時間になります(反省)
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それでも女性に戻れるタイミングというのは欲深い2024年に生きる我々には必要なことで
笑顔に戻してくれる男性の優しい気遣いだけで、また明日も頑張れる…
色々なことがあった母の日でございました。
あす香の写メ日記
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母の日の起源を調べたら想像と全然違う結果が学べたあす香