5年間の役所勤めを辞めて茨城から東京に引っ越してからは、「1ヶ月後に何処で何をしてるかわからない生活」をずっと送っている。
住んでいるのもシェアハウスなので、俗に言う白物家電の類いも持っていないし、本と楽器を除けば比較的荷物も少ない方だと思う。
そしてこれまたお仕事も風俗業なので、雇用されている訳ではないし、極端な話だけど「所属はしてるけど全く出勤しない」や「明日やめまーす」みたいな選択も不可能ではない。
つまりは、一般企業や役所で言う所の正式に決裁された「年次計画」や「3ヶ年計画」みたいなプランは無いのだ。
団塊の世代なんかは俺の生活を見ると「根無し草」や「フーテン」みたいに表現するんだろうけど、まぁそれはそれで構わないと思っている。
20数年間生きてきて自分について1つ分かったのが、「人生のある程度先が見えると何故かやる気が無くなってしまう」って事だった。役所で働いている時がまさにこの状態で、働く姿はウォーキングデッドもかくやと言う程の状態だった。
そうなった時に自分なりに考えた対処法は、「構造的に人生の先を見えなくする」って選択で、今がその状態になっているのだ。
今の生活は本当に先が読めなくて、例えば何か思い立って、来月にはベネズエラで革命戦士になってるかもしれないし、フィリピンのバナナ農園で働いているかもしれないし、スイスで羊を飼っているかもしれない。
だから不安なんだって事では全くなくて、だから楽しいし目の前の事に対してやる気が出るって事を言いたい訳だ。
やっぱり自分の性格的には、人生の先が全くわからない方が性に合ってるんだってのが腹落ちした。
恐らく、生きる上での刺激みたいなのに対してジャンキーっぽい態度があるのかもしれない。それに、自分の人生が終わる様な瞬間に-もし意識があればだけど-今の行動や選択に後悔はしない気はする。
だから何だって話なんだけれど、ふとそんな事を思いましたって話です。
かしこ
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