過剰な刺激ではなく、静けさや余白にこそ深い悦びが宿るという感覚は、私にとって性的な快楽の本質にも重なる。たとえば、一杯の味噌汁に潜む滋味や湯気の温もり──それは、直接的な接触を避けたまま、すぐそばにいる誰かの体温を感じるような、切なさと甘さを孕んだ感触である。手を伸ばせば届くはずなのに、あえて届かせない距離。触れる寸前でとどまる指先。そこに宿る緊張と期待が、むしろ身体の奥を疼かせる。
満たされない「間(ま)」こそが、想像を誘い、感覚を鋭くする。舌に触れた出汁のやわらかさ、器の縁に残る唇の跡。日常的な行為のなかにひそむ微細な官能。それは食も性愛も同じで、すべてを与えられた瞬間に興醒めしてしまう。むしろ欠けているもの、そこに漂う「気配」が、欲望を深くゆっくりと染み込ませていく。まるで一汁一菜の食卓が、触れない愛撫のように心とからだを静かに揺さぶるのだ。
ゆうの写メ日記
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#3 触れない愛撫と味噌汁の湯気ゆう