こんにちは、サンライズ東京セラピストの咲矢(さくや)です!
もしも「どこでもドア」が現実に存在するとしたら、僕たちはどこにでも瞬時に移動できる便利さに感動することでしょう。でも、少し考えてみると、実はそのドアの仕組みには大きな哲学的な問題が潜んでいます。
どこでもドアの移動原理は、一度全身を素粒子レベルにまで分解し、その情報を転送して、向こう側で再び組み立て直すというもの。確かに物理的には同じ自分が再構成されるのですが、果たしてそれは「元の自分」と言えるのでしょうか?
つまり、ドアを潜る前の自分と、ドアの向こう側に現れた自分は、同一人物でありながらも、もはや「同じ存在」とは言えないかもしれないのです。一度分解されて再構築された自分は、物理的に同じ構造でも、連続性が断たれた新たな存在なのではないか、という疑問が浮かびます。
どこでもドアを使うたびに、自分は「自分でなくなる」瞬間があるのだとしたら、便利さの裏に隠れたこの深い問いは、少し恐ろしい気もしますね。