4月6日 火曜日 曇り
私は田舎者です。都会に憧れていました。
田舎で暮らした年月よりも、東京での暮らしの方が遥かに長くなりましたが、自分が東京に出て来た日のことは今でも忘れません。ちょうど今ぐらいの時でした。
私は四人兄弟の末っ子、上の兄弟は皆、高校卒業と同時に進学や就職で、東京に出ていく姿を見ていて、自分もいずれ東京へ出るのかなあ~と漠然と思っておりました。
とにかく、出たかったんでしょうね田舎から。田舎特有の、あそこの家はとうだとか、あの人はどうだとか、そんな所にも嫌気がさし、そして大都会東京への憧れ。専門学校への進学という事で上京して来ました。
うちの母親は、自分に対して、小さい時から勉強しなさいとも言わなければ、これはダメとか一切反対することなく、自分の好きな事をやらせてくれたし、自由に育てらましたが、唯一高校卒業後の進路に関して、東京に出ることだけは賛成はしていなかったようで、それもハッキリと行くな。とは言わないものの、やはり出したくは無かったようで、母親の職場の上司からは何回も地元に残るようにと説得されたものでした。
そんな母親の思いは、伝わってはいましたが、それでも振り払い、上京することを4月の頭ぐらいにギリギリに決め、東京に出て来たのが今ぐらいでした。
東京に旅立つ朝は、いつものように朝食を済ませて、その日母親は休みでしたので、玄関先でお見送りでした。「行ってくるよ、、、」 それに対しての母親の言葉は、なにを言ってくれたか定かでは無いですが、ただハッキリと覚えているのは、声が震えていて、涙声でした。
東京に近づく新幹線からの車窓から、桜と都会への景色を見ながら、母親の思いどうりに地元に残ることなく、俺はなんて親不孝なんだ、母親を悲しませてしまった。そう思っては、涙が溢れた。今でもこれを書きながら当時を思い出しては、また涙が溢れてきそうな思いです。
田舎から東京へ出てくるということは、自分にとって一大決心でした。
つづく
哀田 剛の写メ日記
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私の上京物語①哀田 剛