こんばんは!
今日は、昼間は凄く天気が良かったですね。仕事したくなります。外出したくなります。
さっき、自分のカラオケ動画のYouTubeを聴いていて、その曲をよく聴いていた頃など思い出しました。凄い昔の事を、高卒で東京に出てきて、専門学校に通っていました、20歳ぐらいからの思い出ですね。
自分は、高校を卒業し、東京に出て来てから、親に金銭面では頼れない環境でしたので、その時から自立でした。その頃の仕事であったり、バイトであったり、いくつかしましたが、その一つがガードマンでした。
なぜ、ガードマンだったかというと、バイト情報誌で探していると、一番に日給がいいんですね。どうぜ働くならば、効率が良く時給がいいバイトをと思い、ガードマンに。
仕事内容は、建築現場での工事車両の誘導、道路工事での片側交互通行の交通誘導、あとは、変わったお仕事だと、若くして亡くなりました、カリスマシンガーの葬儀会場の警備なんかも。
当時、若かったので、また稼ぐ為に、日勤、夜勤、日勤など連続でシフト入れたり、、、そうすると、合間にちょっとだけ寝てすぐに次の勤務となり、若いからあまり寝なくても、といっても限界があるもので、究極に眠い時は勤務中に立ちながら寝ていました、、、限界だったと思います。その時思ったのは、人間やはり寝ないと駄目なんだなと。
事故につながる様な失敗はありませんでしたが、たまには怒られたことも、交通誘導の際、路線バスを止めたりするのはよくないんですが、ある時路線バスを止めてしまい、運転手に怒られたり、ある時はジャガーに乗ったバブリーな若い兄ちゃんに、車を止めただけで怒られたり、会社に指示された現場の住所に行くものの、その住所が存在せずに、到着が遅れて理不尽に叱られたり、まあいろいろとありましたね。約3年ぐらい続けましたが、最後の方は地下鉄銀座線の夜勤現場で、常駐のお仕事をいただき、そこでガードマンのバイトを卒業しました。 その時にお世話になった現場の方々、監督さん達はどうしてるかなあ〜?現場終わりの朝方に、吉野家に連れてってもらったり、忘年会に呼んでいただいたり、大変お世話になりました。
あの頃は、、遊びたい盛りに、当時はディスコ、クラブ遊びなんか一切せずに、というかそんな暇も無かったですね。生活するのに、食べていくのに、必死だったと思います。今よりは10キロぐらい痩せていたかなあ。あの頃が、あの経験があったから今の自分がある。何でも出来るとも思えます。
哀田 剛の写メ日記
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若かりし日の思い出哀田 剛