こんばんは。
今夜の日記も、私の履歴書。小学生の頃の自分の記憶。
私の履歴書
⑨自立
私が確か小学4年生の時だったと思います。親に自転車を買って貰いました。5段変速ギアのピカピカの自転車、当時45,000円もする自分の家では高価な買い物で10回ローンでした。周りはもう自転車に乗ってる友人がほとんどで、野球の練習に行く時と、あとは欲しかった理由がもう一つ。
小学4年の哀田少年は、なんと新聞配達のバイトを始めました。凄く田舎なので配達先の1軒目から最後まで距離があるし、それで自転車があった方が便利で。なぜ新聞配達を?それは、家が色々と大変なのは子供ながらに見ていたので、自分の欲しいものは自分で働いて買えるように、出来るだけ親の負担にならないようにと。
配達軒数は、だいたい30軒位はあったかなあ。時間にして1時間以内には余裕で終わって、それが終わってから朝ご飯を食べて小学校へと登校する毎日。雨の日も雪の日も。
配達中で忘れられないのは、とある配達先の家で犬を飼っていて、ある日その家に新聞を届けようとしたら、玄関前にそこの家の犬が待ち構えていて、こちらを見て「うぅ~うぅ~」と唸って睨みつけているではないか。それまで犬は全然大丈夫だったのに、玄関まで進めずに、暫く私は身動きできず。その時のワンちゃんになぜか恐怖を感じて、、
私は咄嗟に逃げました。凄い猛ダッシュで。今までそんなに早く走った事がないぐらい。いざとなっらたら人はこんなに速く走れるんだなと思いました。多分あの速さならば運動会の徒競走では敵無しであったでしょう。
しかも、そのワンちゃんは繋がれていなくて、野放し状態でして、今では考えられないですが、当時の田舎ではありましたね、そんな飼い方をしている家が。「うぅ~」と、こちらを威嚇している姿が当時の哀田少年には凄く怖く感じたんでしょうね。こちらが怯んでしまったから追っかけられたんだなあ。それからワンちゃんが少しだけ怖いなあと思いました。今では全然大丈夫ですよ。
当時のその1ヶ月新聞配達をして働いて、頂いたバイト代は1ヶ月7,000円でした。その当時の私には大金でしたし、その時の金銭感覚というのは今でも、いつまでも忘れずにいたいものです。
つづく
哀田 剛の写メ日記
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