3月11日 金曜日 晴れ
おはようございます。
穏やかで、いつもと変わらない平和な朝でした。11年前の3月11日の朝は。
いつもと変わらずに朝の「行ってきます」と元気な声。その何時間か後に、まさかそうなるとは、誰も思ってもいなかった。
何も悪いことをした訳でもなく、ただそこに住んでいただけで、住んでいる家も、大切な物の数々、そして大切な命まで。
私はあの日の夕方から、被災地に住んでいる叔父、叔母さんの安否を確認する為に、携帯は暫く繋がらなかったので、公衆電話から毎日毎日、何度も何度も電話をかけても繋らず、数日経ってやっと繋がって無事を確認した時には、安堵したものでした。
しかし、身近な人が助かったから良い訳ではなく、辿れば誰かしら犠牲になった方がいました。ご遺族の方の事を思うと、その悲しみはいかほどのものなのか容易には想像できません。
11年前は、私は既にこの女風の仕事をしていて、震災直後にもご予約いただいていたお仕事に向かいましたが、気が気じゃありませんでした。こんな時に自分はこのお仕事をしていてよいのか?そう思ったらすぐさま行動を起こし、女風からは約4ヶ月ほど離れて全く違う仕事をしておりました。その話しはまたいつか。
震災直後は、店の棚から商品が無くなり、ガソリンスタンドには車の長い列、計画停電なるものが行われたり。そんな事があったことも忘れさられないように、そして何よりも、多くの尊い命が奪われてしまったことを、いつまでも忘れられないし、いつまでも忘れてはいけない。
今当たり前のようにある事が、当たり前ではないという事ですね。
合掌
哀田 剛の写メ日記
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それぞれの思い哀田 剛