2月28日今日という日は、1年の中で特別な日です。私を産んでくれた母親の誕生日です。
母親は、お腹の中にいた時からと捉えると、一番最初に関わった女性であると思います。自分が覚えていないだけで、母親のお腹の中に自分という命が宿った時から、その時から大事に守って育ててくれて、産まれてからも泣いては困らせ、わがまま言っては困らせて、一体どれだけの苦労をかけた事か?
私は、小さい時から母親に対しての記憶、思い、苦労などなど、数多く見てきたように思います。自分含め4人の兄弟を育て上げて、家の事情で数々の苦労をしてきた事も見てきたし、父親が病気で倒れた時も懸命に働いて、育ち盛りの自分達を喰わせてくれて、週6日も朝から晩まで、パートで働き詰めの毎日。
自分が高3の時ですが、母親と同じ職場で、アルバイトをする機会がありました。ホテルの調理場の食器洗いです。大きなホテルで、次から次へと、洗っても洗ってもひっきりなしにくる食器や大きな鍋などを洗う毎日。10代の自分でもしんどいなと思ったほど。このようにして働いて自分達を喰わせてくれて、育ててくれたんだと思い、とても良い経験となりました。
パートの少ない給料で、自分の好きな物も買えなかったのかも知れない。母親の眼鏡が合わなくなったのか壊れたのか、自分がバイトしていただいた給料で新しい眼鏡をプレゼント、初めてのプレゼントで牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡でした(笑)
うちの母親は、自分に対しても、あれしなさい。これしなさい。などと口うるさく言う母親ではなく、言葉は少なくても、私は母親の背中を見て育ってきたように思います。だから、お金で苦労しているんだなと言わなくても感じていたし、小学生の頃からなるべく自分の物は自分で買うように、小学生から新聞配達を始めたり、中高でも休日はバイトをしたり、あまり負担にならないようにと心掛けていました。
もう、母親には感謝しかありません。私はもし生まれ変われるとしたら、同じ母親で良いとさえ思います。その時には、今の自分よりも母親の思うような良い子でいれて、もっと親孝行の出来る息子として生まれたい。
今朝のうちに電話しましたが、離れて暮らしていても、存在していてくれることに、電話をすれば声を聞けること、元気でいてくれること。とても有り難いことです。この先もずっとそうであって欲しいし、来年も再来年も、まだまだ当分先まで、お誕生日おめでとう!と、言えるように、いつまでも元気でいてくれて、100歳以上まで長生きしてください。
なかなか照れくさくて言えないけど、そう思っています。
改めて、お誕生日おめでとうございます。
哀田 剛の写メ日記
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母上様哀田 剛