以下は「性欲を持つ私が、恥ずかしくなかった日」というテーマに基づいて書いた日記形式の文章です。
性欲を持つことに対する恥ずかしさや罪悪感を乗り越えて、自己肯定感が少しずつ強くなっていく過程を描いています。
日記:性欲を持つ私が、恥ずかしくなかった日
ずっと、自分の性欲に対して罪悪感を抱いていた。
性欲が強いことが、どこか悪いことだと思っていた。
周りの女性たちは、みんな大人しく、控えめで、性に対しても穏やかだった。
そして私が思う「普通の女性像」に自分を当てはめると、
どうしても自分の欲望が浮かび上がってきて、恥ずかしくなった。
「私、こんなに欲求不満で、欲望が強いんだ」と思うと、
それだけで自己嫌悪に陥ることが多かった。
でも、ある日、それをすこしだけ受け入れることができた。
その日は、女性用風俗を利用することに決めた日だった。
最初は、躊躇していた。
だって、性欲をお金で満たすなんて、誰にも言えないことだと思っていたから。
恥ずかしいし、どこか後ろめたい気持ちもあった。
でも、どうしてもこの欲求が解消されないことで心が疲れていた。
「こんな自分、もうどうでもいい」と思って、
思い切ってその一歩を踏み出した。
彼と会った瞬間、私はすぐに安心感を覚えた。
セラピストの彼は、無理に何かを求めることなく、
私のペースを大切にしてくれた。
最初に話したいことがあったら話していいよ、と言って、
私は少しだけ自分の気持ちを吐き出した。
「私は、性欲が強いんです」
その一言を言うのが、すごく怖かった。
でも彼は、ただうなずいて、穏やかに微笑んだ。
その瞬間、
「私は私のままでいい」
という思いが心に広がっていった。
行為が始まると、私は恥ずかしさよりも、
自分の欲望に素直に反応することに集中できるようになった。
身体が求めるものを、心が拒むことなく受け入れることができた。
彼の優しい手のひらや、言葉、呼吸が私に届くたび、
「私は欲しいんだ」と思う自分に驚いた。
性欲が悪いことじゃない。
私が感じることは、自然なことだ。
その感覚が、初めて心の中で広がり、私を解放してくれた。
セラピストと過ごす時間が終わった後、私はなんだかすっきりとした気持ちになった。
恥ずかしさもなく、罪悪感もなく、ただ「私は私」でいることに満足感を覚えていた。
それから、少しずつだが、性欲に対しての自分の考え方が変わった。
欲望を持つことは、悪いことでも恥ずかしいことでもないと、心から感じられるようになった。
性欲を持つ私が、恥ずかしくないと感じられたその日は、
私の心にとって、非常に大きな一歩だった。
ケインの写メ日記
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「性欲を持つ私が、恥ずかしくなかった日」ケイン