以下は、「セラピストの優しさが、怖かった」というテーマで書かれた日記形式の文章です。
優しさに触れたときの戸惑いと、過去の痛みによる防衛反応、そしてその中で見えた自分の姿を描いています。
日記:セラピストの優しさが、怖かった
その人は、最初から優しかった。
扉を開けた瞬間の笑顔も、私の言葉をさえぎらない姿勢も、
どれも“丁寧に接しよう”という意思が見えていた。
たぶん、それは仕事としての優しさ。
でも、それでも十分だった。
私は、ただ“誰かの善意”に触れたかったのだと思う。
…そう思っていたのに、
彼の優しさに触れれば触れるほど、
なぜか心の奥がざわついて、涙が出そうになった。
本当は、怖かった。
優しさが怖いなんて、変かもしれない。
でも私にとってそれは、
「壊されなかった記憶」がなさすぎて、
優しさが信じられないということだった。
優しくされると、
「きっと裏がある」「今だけだ」「調子に乗ったら見捨てられる」
そんな声が、自分の中から聞こえてくる。
“優しい人ほど、最後は冷たかった”
そんな経験が、いくつも身体に染みついていたから。
彼の手がそっと頬に触れたとき、
それだけで涙がこぼれた。
驚いた彼は、「痛かった?」と聞いてきたけれど、違う。
痛くもないし、悲しいわけでもない。
ただ、「本当に優しくされてしまった」ことが、怖かった。
私は、強く触れられるほうが安心だった。
命令されたり、雑に扱われる方が、わかりやすかった。
そういう愛し方にしか、慣れていなかったから。
その夜、私は自分がまだ“疑ってしか生きられない”ことを思い知らされた。
でも同時に、「それでも、誰かの優しさに触れたい」と思った自分が、確かにいた。
優しさに怯えるのは、
優しさをどこかでずっと、求めていたからかもしれない。
彼が最後に言った「また会えたらうれしいです」という言葉も、
私はすぐには信じられなかった。
でも――信じてみたいと思った。
そんな自分がいたことが、
今の私には小さな希望だと思えている。
ケインの写メ日記
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「セラピストの優しさが、怖かった」ケイン