以下は「触れられて、ようやく私が“ここにいる”と思えた」というテーマに基づいた、日記形式の短い文章です。
一人の女性の内面と体験を丁寧に描いています。
日記:触れられて、ようやく私が“ここにいる”と思えた
ずっと、自分の身体が遠くにあるような感覚があった。
朝、鏡を見ると、誰かのための顔が映っている。
仕事で笑うと、どこかのマニュアルをなぞるような声が出る。
家では“いい妻”“いい母親”を演じて、
夜、布団に入るころには、自分の輪郭がわからなくなっていた。
私は、何を感じて生きていたんだろう。
女性用風俗を予約したあの日は、
何かを求めたというよりも、
ただ「何も感じなさすぎて」怖くなった日だった。
セラピストと会って、話して、触れられて。
正直、最初はどこか他人事のようだった。
でも、彼の指先が肩に触れたとき、ふいに――
涙がこぼれた。
痛いわけでも、悲しいわけでもない。
ただ、「あ、私の身体がここにある」と思った。
そして、それを誰かがちゃんと“触れて”くれていることに、
身体が先に反応して、心が追いついた。
あのとき私は、
ずっと凍っていた自分に手を伸ばされたような気がした。
快楽が欲しかったわけじゃない。
癒しを求めたわけでもない。
ただ、「私が私として、ここにいていい」という感覚。
それが、肌を通して届いたとき、
私はようやく――この人生に「私」がいたことを思い出した。
触れられることは、
支配でも依存でもなく、
ときに“存在の証明”になるのかもしれない。
誰かの手を通して、
私は自分に触れる方法を、少しだけ思い出した夜だった。
ケインの写メ日記
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「触れられて、ようやく私が“ここにいる”と思えた」ケイン