僕が一番肘の怪我に苦しんだのは中学二年生の時のことでした。
2年生の5月ごろから痛みを感じていたのですが、7月には先輩の引退がかかっている試合が残っていましたしその後は自分がエースとしてチームを引っ張っていくのだと思っていました。そういったこともあり通っていた整骨院の先生も大丈夫と言うので痛くなったら休んで、と騙し騙し投げ続けていました。
しかし、8月の公式戦でついにマウンド上で立ち上がれないほどの痛みに襲われてしまいました。
急いで病院に行き二人のお医者様に診てもらってから、手に負えないのでとプロの選手を診るような有名なお医者様宛に紹介状を書いていただきました。
診断名は右上腕骨骨端線離開(軟骨で繋がっていたはずの骨が完全に離れてしまっていました)で驚くべきはそれが3ヶ月間も放置されていたと言うのです。
ここまでひどいのははじめてだと言われました。
手術をしようにも数ヶ月間の酷使で骨が変形してるから治らない。人間の自然治癒力に頼るしかない。おそらく野球はもう出来ないし下手すれば日常生活もままならないと言われ目の前が真っ暗になりました。
その後、リハビリの甲斐もあってか奇跡的にほぼ完治したのですが(お医者様が一番びっくりしていました)当時は痛くてバットも握れなかったのでほとんどできることがありませんでした。
でも自分は野球が好きだったし、チームが勝つために何かできることをしようと思って部活に出続けていました。
そこで迎えた秋の大会。当然自分は最初から最後までベンチです。でも勝ちたいという気持ちでは負けたくなかったので相手投手のくせを探したりサインを読んだりとできることをしてました。
そして9点差の大差で負けていた6回裏、ついに確信を持って相手投手が投げる球種を投球前に判別できるようになりました。
三塁コーチャーボックスからバレないようにバッターに投げる球がストレートなのか変化球なのかを伝えていきました。するとそのおかげもあってか打線が大爆発。チームは大逆転での勝利を収め、自分も陰の功労者として感謝されました。
人は可能性の塊です。何かができなくても、何かで劣っていても別の何かで役割をはたすことができるかもしれません。
あなただからこそできる何かがあるはずです。
はい。
きっとそういうお話です。
焔